方面委員制度とはドイツをまねして制度化した社会福祉貢献者への委員 保育士試験まんが・社会福祉
保育士試験まんがの社会福祉から今回は、大正時代の方面委員制度を解説していきます。現在の民生委員にいたる流れの日本の源流的制度だったのが、この方面委員制度です。
- 方面委員制度とはドイツをまねして制度化した社会福祉貢献者への委員 保育士試験まんが・社会福祉
- 1918年に大阪で方面委員制度ができた。
- 1936年に方面委員令として国の制度に。現在の民生委員に繋がっている。
- 今回のまとめ。方面委員制度は大阪から全国に広がった
方面委員制度とはドイツをまねして制度化した社会福祉貢献者への委員 保育士試験まんが・社会福祉
今回のまんがは保育士試験の社会福祉から、方面委員制度について書いてみました。
方面委員制度ってなあに??
ww1(第一次世界大戦)戦後、社会福祉を頑張っている方に与えた委員のことだよ。
(1918年に大阪、1936年には国の方面委員令)
現在の民生委員のさきがけではあるけど、民生委員の根拠法は1948年の民生委員法だね。
民生委員で方面委員はなくなったのね。
では、説明していきます。(*^_^*)
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1918年に大阪で方面委員制度ができた。
1918年は大正7年ですが、この年の大阪で、
林市蔵 大阪知事 と
小河滋次郎 大阪府嘱託職員(大阪で社会福祉の事業をしていた) が、方面委員制度を作りました。
この方面委員制度がどういう制度だったか、というと、
第一次世界大戦が1918年に終戦しましたが、軍事産業に集中する国策のなかで、市民の生活は地方で守る必要がありました。(自分たちで)
なので、地域の社会福祉に貢献した方に委員を授けよう。ということを大阪では考え、この方面委員制度をつくりました。
方面委員制度は、地域をよく知り、地域の社会福祉に貢献をした方に送られる委員でした。
ドイツのエルバーフェルト制度をならっている
方面委員制度ですが、ドイツのエルバーフェルト制度をまねして作られています。
このエルバーフェルト制度も、地域の状況を把握する社会福祉ボランティアの委員をたてて、地域の治安・状況を把握し守る役割が当てられていました。
1936年に方面委員令として国の制度に。現在の民生委員に繋がっている。
1936年の昭和11年には国の制度として、方面委員令という形になり、方面委員は地域の社会福祉や状況把握の委員として位置づけられました。
現在の民生委員も、この方面委員の制度を継いでいますが、民生委員の根拠法は、戦後の1948年制定の民生委員法です。
今回のまとめ。方面委員制度は大阪から全国に広がった
今回は大阪が発端となった方面委員についてを扱いました。
方面委員とは、地域の社会福祉に貢献し、地域の内情を知る人に与えられていました。
1918年の大阪を発端として、1936年には方面委員令として国の制度になっています。
現在の民生委員の前のかたち。とも言えますが、民生委員の根拠法は1948年制定の民生委員法です。