オーベルランの保育原理ポイントまとめ。幼児保護所
保育原理の対策記事として、今回はオーベルランについて、マンガでまとめました。
オーベルランは、オーベルラリンとも言いますね。
フランス革命の真っただ中の世界です。
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フランス革命前のフランスは、子ども達が放任され、非常に危険な状態だった。
オーベルランが活動を始めた時代は、幼児保護所が出来た1779年。
その時代のフランスは、フランス革命から10年前で、
両親の仕事中、子ども達は放任され、子ども達にとっては、非常に危険な環境。
かつ、オーベルラン(1740~ 1826)
は、プロテスタント系の牧師だったのですが、
その牧師としていった先のフランス北東部は、非常に村が荒廃した地域でした。
これによって、オーベルランは、宗教とともに、教育の必要性を感じたのです。
1779年 幼児保護所をフランスに作った。
その荒廃した村では、両親が働きに行っている間、子ども達は見放されていたので、
オーベルランは、
子ども達を早くから、適切な環境の中で過ごさせないことには、6歳からの学校では、手遅れだろう。
と考えて、
幼児(つまり、6歳未満を含みます。)
かつ、乳児の学校をつくりました。
これが、オーベルランが自分のお金で作った、幼児保護所です。
幼児保護所は、世界で初めての集団保育施設
オーベルラリンの作った、幼児保護所は、
世界で初めての集団保育施設となりました。
あれ、フレーベルじゃないの?
と思う人もいるかもしれませんが、
フレーベル(1782~1852なので、オーベルランより年下)
は、ドイツで、世界初の幼稚園を作った人物です。
ここ、混ざらないように、注意しましょう。
編み物学校は女の子に対して行った。
オーベルランは、大人たちに対しても、農業の技術や、女の子には編み物の教育を行いました。
だからこそ、オーベルラリンは、慈善活動家。とも言われています。
かつ、編み物学校と言われていたのは、女性に対しての仕事がないときに、
女の子たちに編み物を教えることによって、未来の就業の機会を与えるためのもの。だったんですね。
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幼児教育の実践。優しく接すること
オーベルラリンは、幼児保護所において、
こどもたちに、はやくから適切な教育を与えることに重要性を感じていました。
そこで、こどもたちを預かるのみでなく、幼児教育も実践します。
オーベルランの幼児教育の内容は、
・フランス語のことば
・道徳性・理性
・あそび(幼少)
オーベルラリンは、牧師でありながら
大人に農業や技術を教え、
女性には、編み物を教えて、就業の機会を与える。
こどもたちには、安心して過ごせる場を与えるのみでなく、教育を実践する。
これらを私財を投げて、見返しなしで行った人物です。
オーウェンと混ぜないように。
さて、ここまで説明したオーベルラリンですが、
決して、オーウェンと混ぜないように、注意してください。
この2人、名前が似ているだけならともかく、
年代も似ているんですよ。
オーウェン
・1816年のイギリスに性格形成学院
・工場長として、女性を守る。
・直感教育(ペスタロッチ―の影響)を重視
オーベルラン
・1779年のフランスに幼児保護所(編み物学校)
・世界初の集団保育施設
・牧師だが、幼児教育の実践に携わった。
この2人、したことは全然ちがうので、ポイントの違いをしっかりと押さえてください。
今回の記事の範囲は、保育士試験の保育原理、教育原理の科目でよく出題される内容になっています。